旧長浜駅 その1
JR北陸本線長浜駅から徒歩5分くらいの所にある旧長浜駅。現存最古の駅舎として有名で、現在は資料館として一般展示もされている。
梅小路蒸気機関車館では満面の笑顔を浮かべてはしゃいだ自分であったが、なぜだかここでは心弾まず。コアな鉄道ファンでないと面白くないかもしれない。黒壁スクエア、長浜城と観光して時間があったらどうぞ。

現在の長浜駅前の出会いの像。
左が羽柴秀吉、右が石田三成。秀吉の顔はかなり意地くそ悪そう。秀吉の最初の城として発展した割にはあまり気が使われていないような気がする…。

屋外に展示されている車軸。

旧長浜駅舎。明治15年に北陸本線終着駅として開業した、現存最古の駅舎。当時は駅のすぐ前に長浜港があり、鉄道連絡船が大津との間に結ばれていた。これは鉄道連絡船としては国内最初のものであったが、長浜〜大津間の鉄道が開通すると廃止された。わずか7年であった。
明治36年に駅は現在の位置に移転したが、その後も解体されることなく、昭和33年鉄道記念物に指定された。

屋外に展示されている「旧29号分岐ポイント」。明治13年、つまり長浜駅開業に先立ってイギリスから購入したもので、現存最古のポイント。後に米原駅に移され、昭和36年まで実際に使用されていたもの。


残念ながらあまり感慨深くはなかった。

同じく屋外展示の腕木式信号機。説明板によると、上の腕木が普通列車の駅への進入可否、下の腕木が通過列車への駅の通過可否を示していたらしい。もちろん人力作動。


疲れていたせいもあったのかもしれないが感慨深くない…。



旧長浜駅舎正面から入場した位置からパノラマ撮影。
左側に一,二等待合室、駅長室、世話係室へつながる扉。
大八車奥が出札室と三等待合室、そのすぐ右に二階へ上がる階段があるが、現在は立入禁止。
正面が改札口で、奥へ行くと長浜鉄道文化感と北陸線電化記念館がある。
中央右が小物の展示、右端が現在のチケット売場。

 館内ご案内

 正面からのパノラマ

出札室と三等待合室。大八車の意味は全く不明。

三等待合室の皆さん。
記念撮影コーナーにもなっているが、気味が悪いのでやめておいた。

存在に気付かないまま近寄って、結構びびってしまった出札室の駅員さん。
あまり愛想のよくない表情で坐っている。

三等待合室横にある二階への階段。往時は鉄道事務部門が入っていたらしいが、現在立入禁止。せっかくだから公開してほしい。
この思いは鉄道好きとしてではなく、廃墟マニアとしての思いからではあるが。

扉をくぐった部屋が一,二等待合室、その奥が休憩室、倉庫係室。各部屋の向かって右側にそれぞれさらに部屋がある。

一,二等待合室。ビロード張りのクッションや釣りランプ、暖炉等、一,二等と三等では格段の差がある。
待っている方々の服装も三等の方々に比べるとかなり高級そうだ。

親子なのか赤の他人なのか全く不明だが、列車を待っている方々。中央の女性は右側の子供の母親らしいが、左側の男性はなんとなくそらぞらしいので父親ではないようだ。
多分、女性の旦那は亡くなってしまっていて、その後、旦那の業務整理で顔を合わせるうちに会社の上役と並ならぬ関係になってしまったようだ。とりあえず、人の多い長浜駅では他人の目を忍び、人気の少ない温泉にでも行くのだろう。

八角形の釣りランプ。
部屋はそんなに広くないのだが、天井も高く、狭苦しさは感じない。

左手ドアが休憩室へ、右手ドアが駅長室へ繋がっている。待合室と駅長室がドア一枚で繋がっているのが現代から考えると不自然だった。

駅長室。待合室の方々は外に出ているのに、駅長だけガラス張りのケースの中。
服が珍しいものなので厳重になっていると思われる。


当時は客の払う金が天保銭やら一厘銭やらと雑多で大変だったらしい。

一番奥の倉庫係室。特に何があるというわけではない。

倉庫係室から右手に入った世話係室。特に何があるというわけではない。
昔やったアドベンチャーゲームの「ミステリーハウス」というのを彷彿しただけ。

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