横井庄一記念館 その1
(名古屋市中川区 2011/11)

「恥ずかしながら帰って参りました」
50代以上ならニュースや流行語で、40代なら「よっこいしょういち」で多く知られる故横井庄一さん。
戦後もグアムのジャングルの中で生活を続け、戦後27年経った昭和47年に帰国した。冒頭のセリフはその帰国の際に発したものが元になっている。帰国後の横井さんは生まれ育った愛知県に戻って結婚、さらにサバイバル番組出演、執筆、参議院立候補(落選)など忙しい日々を送り、激動の昭和を越え、平成9年に心臓発作で亡くなった。享年82。

手作り感満載、でも長居は難しい
横井庄一記念館は横井さんの奥さんが自宅の一部を改装し、一般公開している記念館である。かなり手作り感満載で、正直それほど興味深い展示はない。興味がなければ5分といるのもつらいだろう。

横井さんと小野田さん
で、横井さんと言えば小野田さんという事になるのだが、零戦だ、大和だ、鬼畜米英だと騒いでいた小学生の自分には小野田さんの敬礼姿はとても勇ましく見えたが、横井さんは失礼ながらずっと逃亡兵だと思っていた。まぁ立場や環境が異なれば行動や考え方に違いがあるのは当然なのだが、小学生だった自分にそこまで考える智恵はなかった。

まぁ、何はともあれ自分はやっぱり小野田さん派だ。
住 所 名古屋市中川区冨田町千音寺稲屋4175
(052)431-3600
入場料 無料(特別の場合は除く)
駐車場 無料
開館時間 毎週日曜日のみ開館 10:00〜16:30
H P


見事なまでの住宅街の中の住宅が記念館になっている。立札がなければほぼ間違いなくスルー。

記念館として別棟があるわけではなさそうなので、玄関に向かって歩く。
立札があったから大丈夫だと思いつつも、不法侵入しているような罪悪感にとらわれる。

玄関脇に「横井庄一記念館」の看板があってちょっとほっとするも、インターホン鳴らす指が緊張で少々震える。

勇気を振り絞ってインターホンを鳴らすと、横井さんの奥さんが出てきて案内してくれた。上品で優しそうな人だった。

家の一室が横井庄一記念館として開放されている。サバイバル生活では記録の残しようがないので仕方ないが、帰国後の陶芸作品、絵画、写真がメイン。

微笑む奥さんに何か感想を述べるべきだ、そう思いつつ、この展示では正直何と言っていいのか分からない…。

「あのー、僕、今でも立ち上がる時は『よっこい、しょういち』って言ってます、お世話になってます。」

せっかくなので言いたいが、言える訳もない。

軍服姿の写真と、発見時の写真をベースとしたレリーフ。
サバイバル生活時に使用していた道具の写真は展示されていたが、さすがに現物はもう残ってないようだ。

グアムで生活していた洞窟を再現したもの。
文化祭のお化け屋敷を彷彿させる手作り感満載の出来。

美術の先生が造ったらしい。
縦書きの文字列が左に寄ってくのは自分と同じ癖。


こちら、グアムの洞窟の断面図、平面図。
井戸や竃、そして水洗便所まで備えた立派なもの。


復元模型内部。
「洞窟復元模型」とは書いてあるが、残念ながら断面図で紹介されている合理的な造りは復元されていない。
したがって、ただのおじいちゃんちの納屋の中チックな雰囲気をかもしだすのみ。

米軍が上陸した昭和19年のグアム島地図。
米軍上陸地点云々書かれてるが、まぁ横井さんが隠れていた地点が分かる以外、それほど意味がない地図でもある。

いつの写真か失念したが、お偉そうな方々に囲まれたショット。
腰の引けてないポージングと南国チックなシャツが微笑ましい。

執筆された本の展示。
ここだけの話、右から二冊目、「最後の一兵」の表紙を飾る横井さんの表情があまり好きでない。本のタイトルとも見事にリンクしない気がするし。

帰国後の趣味だった、陶芸作品群。手作りの織り機も展示されている。

グアムで潜伏生活を送っていた横井さんに興味はあるが、帰国後の横井さんに興味はないので、コメントに困る展示。

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