神岡鉱山神社跡&栃洞学校跡 その1

よごれんさん案内による神岡鉱山コラボツアーのオプション。先に戻ってきてしまって時間が余ったので、なかなか見ることができない神社跡を散策。また鉱山の規模縮小で閉校となった小中学校跡も合わせて散策。

栃洞小中学校跡碑。運動場跡と思われる部分に建てられていた。

校略(一部抜粋)。
明治29年9月開校
昭和16年三井栃洞校と改称(鉱山を経営していた三井組から)
戦後しばらくは私立経営、のち町立。
昭和33年小学生809名、中学生277の絶頂期。
昭和53年中学校を神岡中学校と統合
昭和58年小学校を神岡東小学校と統合(生徒数43名)

積雪でへしゃげたブランコとジャングルジムの残骸が残る。少し前まではもう少し原型を留めていたようだ。

運動場跡に落ちていた生徒の作品と思われる工作品。でも何かは不明。

この生徒、まめな性格だったらしく塗装してない裏面もちゃんと彫刻してあった。

元の区画がどうなっていたのか分からないが、最大800名を越える生徒がいた学校の運動場がここだけというのは考えにくい。

行けなかったので分からないが校舎跡か?

神社石柱。
この時点では廃神社かどうか不明だったが、とりあえず行ってみることにした。

少し歩くと手水の石鉢が封鎖されていた。この時点で廃神社を確信。

鳥居と階段を登った先に見える本殿。それほど建造物に傷みは見られない。

石段は非常に滑りやすくなっていて結構危険。

でもあまり見られない廃神社に足はついつい速まる。

本殿。なにやら貼紙も見え、やはり廃止されているようだ。

なぜか下に置かれた狛犬。
頭の中では「地上に降りた天使」(唄:水谷麻里)がリピートしていた。関係ないが、水谷麻里は自分の本籍と同じ愛知県津島市出身。

張り出されていた、宗教法人神岡鉱山神社解散理由書。平成17年3月15日付で宗教法人として解散している。
一時は合祀も考えたようだが、鉱山に付随するという特異性もあって実現されなかったらしい。

別社らしき祠。
こちらも完全封鎖、中には注連縄も見えたが御神体はいくらなんでも置かれていないはず…。

結構立派な社務所跡。

登りより危険な下り。
特別に何があるというわけではないが、やはり廃神社というのは妙に寂しげで廃心を鷲掴みする。

栃洞保育園跡。反対側の正面からは1階建に見えるが、実際はこのとおり2階建。
建物の保存状態は良さそうだが、鍵がしっかりかかっており内部潜入は不可能。

保育園隣の社員住宅らしき長屋を見学。なんとなく保育園より味がありそうな雰囲気があったのだが。

中はもぬけの空、床も抜けてしまっており、特にみるべきものはなかった。

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