福来博士記念館
(岐阜県高山市 2005/10)
高山市堀端町8
(0577)32-2052
8:00〜18:00 (8:30〜17:30 11月〜3月)
休館日 不定休
入館料 大人200円(照蓮寺共通)
駐車場 無料

ご存知「リング」シリーズ、伊熊助教授のモデルとなった心霊研究者福来友吉について展示されている資料館。当然というべきか館内でリングに関する事は何も述べられていない。主に福来博士の生涯、念写について紹介されている。館内は1部屋だけ、また展示もほとんどパネルによるもので、あまりオカルトチックなものを想像して訪問すると肩くわしを食らう。
昭和31年の開館なので、「リング」ブームだった時には当然存在していた。これが何も観光資源がない都市であったら、「貞子の里」とか宣伝して「貞子饅頭」でも売り出すところだろうが、そこは観光都市高山、中途半端なブームに乗らず積極的な宣伝を行っていない。ブームが過ぎた今となっては、高山のイメージを崩さない良い判断だったと思われる。もちろん現在の高山市観光マップを見ても、あまり力を入れてない事は歴然としている。
一応近くの照蓮寺とセットで200円の入館料となっているが、境内にあるわけでなく、受付がいるわけでもないので知らないとそのままタダ見をしてしまう。申し訳ないが自分もそうだった。

高山城の城山公園内に存在する。城山公園は高山市街を見下ろす景勝地。

しっかり場所を確認していかないと通り過ぎてしまいそうな記念館。
予想より小さい建物に、それほど期待していなかった胸は更に小さくしぼんでいく。
ここは、万博で入れなかった「サツキとメイの家」だと自分をマインドコントロールしてみたが、脳裏では「田舎の診療所」という言葉が激しく明滅。

基本的にはこの部屋一部屋のみ。福来博士の胸像と説明板、著書が置かれているのみ。

福来博士胸像。台の下にはお賽銭入れがある。お賽銭大好き日本人、期待にそぐわずたくさんのお賽銭が置かれていた。

リング伊熊助教授は主に戦後活動していたが、モデル福来博士は明治〜昭和初期にかけて活動。
死ぬ直前「福来友吉第二世生まれる」と三回叫んだらしい。自分は昭和46年生まれなので多分福来友吉第二世ではないと思われる。

リング、貞子の母「山村志津子」のモデルとなった御船千鶴子についての説明板。
千里眼(透視)能力があったとされ、一時は新聞でかなり騒がれたが、明治43年の公開実験のゴタゴタからイカサマ扱いされ、同44年1月に服毒自殺。享年24。

千里眼千鶴子にはない、念写能力を持っていたとされる長尾郁子。
明治43年、世界で初めての念写を成功させた…らしい。
同44年1月、物理学者グループの実証検分によりイカサマと断定される。同3月インフルエンザにて死去。享年40。

長尾郁子が明治43年12月に世界で初めて成功させたとされる念写。「心」という文字を念写する予定だったが、このような意味不明なものとなった。長尾郁子、その死まで四ヶ月。

福来博士、御船千鶴子、長尾郁子らが「偏狭な物理学者」やマスコミからインチキ扱いされて、社会的に抹殺されようとしたことが記載されている。
このあたりものすごくローカル宗教チックな香りがする。

大正2年、高橋貞子による念写。
この高橋貞子がもちろん山村貞子のモデル。またそのフォントは映画やドラマにでてきたものと重なる。

大正6年、透視&念写能力を持つ三田光一による透視念写実験結果。
神戸にいる三田に対し、手の加えられない感光板を渡し、浅草観音堂に掲げられている山岡鉄舟の書いた額面の文字を念写させるというもの。「南無観世音」と書かれているらしい。

同じく三田による念写メドレー。
念写云々より写真が怖い。
二段目右および三段目左は「婦人」、一段目中央は松尾多勢子という女性。


昭和6年三田によって念写された月の裏側。昭和34年、ソ連が月の裏側の撮影に成功した際、答え合わせをしようとして問い合わせたらしいがなしの礫だったらしい。仕方がないので関係者が別の方法で解析を行い、それとはピタリとあてはまったとのこと。
かなり厳しい。

開館当時のパネルも残されている。

同じく開館当時のパネル。
福来少年について紹介。ほとんどローカル教祖の少年時代紹介。

同じく開館当時のパネル。
申し訳ないが、撮影しっぱなしで読んでない。

壁にかけられていた「疾病の構成と理想的治療法」。
これからすると、Dr.コトーやブラックジャックは理想的な治療法ではなかったようだ。


福来友吉博士記念館設立嘆願書。色々難しいことが書いてあるが、紹介したいのは末尾部分。
城山公園内に福来博士記念館と碑を建設したいと思います。何卒、御力添え戴きたく伏して御願い申し上げます
これに対する返答
城山公園は公の風致地区でもあるので他の土地を選ぶように御願いします」…。


高山市のクールガイな返答とそれを掲載する記念館。市の冷たい対応に対してのせめてもの抵抗だろうか。しかしこの記念館が建てられているのはおそらく城山公園内、とりあえず市の返答を無視したようだ。

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