西本願寺
(京都府)

親鸞が13世紀にひろめた浄土真宗の総本山。念仏を唱えることによって死後極楽へ行くことができるという教えは農民を中心に広まっていった。戦国時代には「一向一揆」という大きな武器を持つ本願寺は各地の戦国大名相手に多大なる影響力を持つに至る。
1581年、門主顕如は政教分離を狙う織田信長との10年にわたる戦いに破れ、石山(大阪市)の総本山を明け渡して退去することとなった。
1602年徳川家康は豊臣秀吉によって隠居させられた前門主教如(顕如長男)に土地を寄進、それまでの本願寺から独立させた(東本願寺)。これ以後本願寺は東西分裂することとなったが、これはいまだ力を有する本願寺に対する家康の分裂策であったとされる。
幕末の1865年(元治2年)には禁門の変で傷ついた長州兵をかくまっていた西本願寺は反幕の疑いをかけられ、監視も含めて新撰組の新しい屯所として利用された。
現在は世界文化遺産にも登録されている。

阿弥陀堂門。
阿弥陀堂。
1864年(元治元年)の池田屋の変で幕府から絶大な評価を得た新撰組は禁門の変後新たに隊士を増やし、今まで屯所としていた壬生寺では手狭になり西本願寺に移る。

太鼓楼。
北集会所(姫路市に移築され本徳寺本堂として現存)とこの太鼓楼が新撰組の屯所として使われた。新選組副長助勤以上の幹部がこの太鼓楼で寝泊りしていたらしい。

境内での大砲や銃の調練、隊規違反者の切腹等寺として迷惑この上ない行為を繰り返したため、後に寺が全額負担して不動堂村に新屯所を作り新撰組はそちらに移っていった。

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