御香宮
(京都府)

築殿は定かではないが862年(貞観四年)に境内から良い「香り」の水が湧き出たので清和天皇から「御香宮」の名前を貰った。御祭神は九州香椎宮の御祭神とされている神功皇后で、その分霊を祭っていることから香椎宮の「香」を取ってつけた名前と言う話もあるとか。(詳細は不明)

元伏見城の大手門が御香宮の表門となっている。伏見城は徳川家光が将軍になった折に廃城となっている。

幕末では、大政奉還後幕軍を討たんとする薩摩隊がこの御香宮を屯所としていた。ほんのちょっと南には当時伏見奉行所が置かれていて(現在は石碑があるだけ)、伏見鎮護を任された新撰組と幕兵が布陣していた。鳥羽伏見の戦いの開戦の場所。

豊臣秀吉が伏見城の築城にあたり鬼門の魔除けとして現在の古御香宮に遷し、その後徳川家康の手によって現在の場所に戻される。

日光や久能山の東照宮にも見られるが、徳川家康が絡むと豪壮華麗な装飾が施される。

拡大。

京都府観光トップ
観光トップ