志賀島
(福岡県福岡市 2004/1)

金印が発見された事で名高い福岡市の島。海水浴場、海ノ中道海浜公園、水族館等、福岡市街からも気軽に行ける観光地。もともとは完全に島だったのだが、現在は「海ノ中道」と呼ばれる砂州でつながっており、その狭い砂州に道路が走っている。両側を海で挟まれた道路は走っていてなかなか気持ちがよい。

両側を海で挟まれた道路。奥に見えるのが志賀島。この道で売ってる「金印ドッグ」は結構有名。食べた事がないのだが、結構うまいという話。

志賀島側から本土方面を臨む。右側が内海、左側が外海となる。正月二日に訪れたのだが、サーファーがたくさんいた。

金印公園。
1784年「漢倭奴国王」と刻まれた金印が溝の補修をしていた百姓甚兵衛によって発見された場所につくられた公園。
現在金印は福岡市立博物館に展示されている。


駐車場に車を停めて写真奥の階段を登ると現れる金印の石碑。天気がよければさぞ展望も良いだろうが、生憎この日は曇り。夜景もとても美しいがヤンキーが多そうなので夜に来たことはない。
また、展望が良い以外は特にどうということもない公園。滞在時間2分。


 説明板
 説明板
 説明板

金印公園から車で1、2分の場所にある、蒙古塚。以下説明板文章。
「文永11年(1274)10月、博多湾に現れた蒙古軍(元軍)は今津から百道原にかけて上陸し、激戦を展開して日没とともに船に引揚げた。しかし、夜になって台風が吹き荒れ、多数の船が沈没、大破したといわれている。この供養塔は、その時、この附近で難破し、戦死した蒙古兵士のため、昭和のはじめ日蓮僧高鍋日統べの提唱で建設されたもので、勝立寺で祭祀している。」


供養塔。蒙古兵用の供養塔でモンゴル文字らしきものが刻まれている。何が書いてあるのかはもちろんちんぷんかんぷん。

供養塔附近の階段を登ると蒙古塚を見る事ができる。階段は結構急で段が小さい。てすりにちゃんと掴って上り下りしないと結構危ない。

蒙古塚。
小学生の時、社会の時間で元寇を習ったが、福岡という土地柄か、他の時代に比べるとかなり時間をかけて授業を受けた記憶がある。壱岐・対馬の住民が元軍によって手の平を紐で数珠繋ぎにされた話は結構ショッキングだった。ということで、自分が最初に覚えた中国王朝は「元」。


ちなみに箱崎宮の「敵国降伏」はこの元に対するもの。

プチ鐘。吉野ヶ里遺跡以来、プチ鐘ならしの虜になってしまっていたのでならしてみたが、30過ぎの男が一人で嬉々とするのは哀しい景色だと気付いたのは、ならし終わった後だった。

志賀島最北端部。高校時代に海水浴で何回か訪れた場所。抜群の透明度と本来遊泳禁止ゆえの人の少なさが魅力的だった。
遊泳禁止にはもちろん理由があって、ここの場合は「ものすごい潮流」がその理由。流れに逆らって泳いでも押し戻され、流れにのってしまえば世界記録並のタイムが出せる。ただその流れはある場所から沖へ〜沖へ〜と変わっていくので命がけ。
友人はその問題の場所で死にかけ、助かった後も半泣きしていた。

島の中央部に近い場所にある潮見公園展望台。島はこんもりとした山状になっており、島中央部のこの公園からは360度のパノラマが楽しめる。ただし夜は近づかない方が無難。

展望台から眺めた海ノ中道。ここも天気がよければ福岡市街を臨むことができるのだが、やはり曇りでそこまでの展望はなかった。
学生時代に夜景を見に来た事があるのだが、その宝石のような美しい夜景も、いつヤンキーにからまれるのではないかという恐怖心の前ではかすんでしまうのもしょうがないことだろう。


 パノラマ


お約束の落書き。どちらかと言うと、女の子が書いたものが多かった。
「○○君、早く迎えに来て!そうしないと誰かにさらわれちゃうよ!」…サラワレナサイ…。

福岡市街と反対側を撮影。ガスっててあまり気持ちよくない…。

海ノ中道。道の両側を砂丘が挟んでおり、その脇をJR香椎線が走る。写真歩道のすぐ横が香椎線の線路。よく砂に埋まらないなと毎回思う…。

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