古都ときいてすぐに思いつくのが「京都」・「奈良」。たくさんの文化遺産が建ち並び、世界中からたくさんの観光客もやってくる。しかし忘れちゃいけないのがここ「飛鳥」。たしかに京都や奈良のような大規模な建築物は残っていないし、国宝の数も少ない。しかし710年に建設された「平城京」をさかのぼること100年以上の昔、この地はおよそ一世紀にわたり日本の政治・文化の中心地であり、古墳時代から奈良時代への架け橋だったのである。
京都・奈良の代表的な文化遺産は仏教関係のものがほとんどであるが、そもそもその仏教をめぐって擁護派蘇我氏と排除派物部氏が争いを繰り返し、勝利を得た蘇我氏によって日本最初の寺、「飛鳥寺」が建立されたのもこの地であり、その後権力を手中に収めた蘇我氏が大化の改新によって滅び去ったのもまたこの地である。
ここ飛鳥(明日香)には蘇我馬子の墓と伝えられる石舞台古墳、蘇我氏と共に仏教擁護にまわった聖徳太子生誕の伝説が残る橘寺、世間をあっと言わせた高松塚古墳・キトラ古墳、さらには猿石・亀石に代表される奇妙な石の文化といった、歴史的遺産に満ち溢れている。


石舞台古墳



奈良県明日香村の後期方古墳で蘇我馬子の墓と伝えられているが実際は不明。この古墳の名前は知らなくても、歴史の教科書等で写真を見た人は多いだろう。
自分も訪れてみて初めて中に入れるのを知った。


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飛鳥寺



596年に創建された日本最古の本格的寺院。蘇我馬子が物部氏との仏教紛争勝利後に建立した。現在は広いとは言えない境内ではあるが、当時は東金堂・西金堂・中金堂からなる特異な伽藍配置の大寺であった。平安遷都後の度重なる兵火により往時の建物はほとんど残っていない。現在の寺は江戸時代に再建されたもの。
本尊の飛鳥大仏は606年に造られた日本最古の仏像。


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酒船石遺跡



平成12年に亀形石石造物が発見されている。導水施設となっており何らかの祭祀に使用されていたと推測される。7世紀中頃から平安時代までの約250年間の長きに渡り改修を重ねながら存在していたらしい。


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橘寺



聖徳太子が生まれたとも、聖徳太子が建立したとも言われる寺。今では中規模の大きさであるが当時は大伽藍であったらしい。高さ40メートルほどの五重の塔が建てられていた。


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亀石・鬼の俎/鬼の雪隠



誰が何の為に作ったのは不明であるが、川原寺の四至(所領の四方の境界)を示すためではないかという説があるとなっている。また眠そうな見かけによらず西を向くと大和盆地を泥沼に変えるという恐ろしい伝説も持っている。


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猿石



江戸時代に欽明天皇陵から発見された四体(猿・男・法師・猿)を吉備姫王墓の敷地に移したものだという。四体中三体には裏面にも顔があるらしいが柵があり見えない。明日香資料館に模造品が展示されており、そちらで裏面を確認できる。


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伝飛鳥板蓋宮跡



飛鳥地方に存在した幾つかの天皇宮の中で唯一造営場所の伝承が残る宮。発掘調査によって高床式建築や井戸の遺構が発見されているが、板蓋宮よりは新しい時代のものと推測され、存在が確認されている下層遺構の発掘が待たれる。板蓋宮は大化の改新(乙巳の変)の舞台となった場所でもある。


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高松塚古墳


1972年(昭和47年)に発見された円墳内の彩色壁画。男女群像や東西南北を守る四神、日像、月像等が描かれている。盗掘や隙間からの浸水等により一部消失してしまっている部分もあり、現在は空調設備に守られて密封、実物を見ることはできない。隣接する高松塚壁画間でレプリカが展示されている。
壁画は国宝。


開館時間 9:00〜16:00 入場料 大人250円子供70円
閉館日 原則として無休


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マラ石


石舞台からわりと近い場所にあるのだが誰も訪れていなかった。
ごらんの通り…。本来は真上に直立していたようだが現在はこの角度、直立よりリアルともいえるが、年齢を重ねた角度減少と考えると妙に納得してしまう。


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飛鳥坐神社


事代主神・飛鳥神奈備三日女神等を祀る神社で夫婦縁に御利益があるという。奇祭「おんだ祭り」でも有名。俗にいう「ちんちん」をかたどったマラ石が林立する。
販売している土鈴ももちろん…。


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岡寺


663年に建立された真言宗の寺で西国三十三国の七番。義淵僧正坐像が国宝、その他重文多数がある。
この寺で授かった瓦土鈴はずいぶん重厚感があっていいなと思っていたら、相互リンク先である「大和の土鈴」さんの常連さんが調査したところ、その筋では高名な鈴木康之氏の作とのことだった。


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