第7回爆釣旅行(会津編) その2 

会津は新撰組ゆかりの観光スポットが結構あるのでもっと時間を取りたかったが、今日中に青森まで移動しなければいけないため幾つか諦めた。スケミスがここに来て更に悔やまれる。

まずは近藤勇の墓に向かうはずだったが、途中会津武家屋敷なるものを発見。ついつい入ってしまった・・・。スケはどんどん遅れていく。

武家屋敷内に「佐々木唯三郎の墓」発見。間接的に新撰組を作ることになった幕末の奇才「清川八郎」の暗殺者で京都見廻組与頭。坂本竜馬暗殺の疑い。

武家屋敷で1時間も費やしてしまった。急いで近藤勇の墓のある天寧寺へ。寺から墓へ行くにはしばらく山道を登って行かなければいけない。途中リスが突然木陰からダッシュして逃げて行ったが自分もクモハも腰を抜かさんばかりに驚いた。

発見。結構登った。ここには近藤勇の遺髪が埋められていると何かで見たが説明書きを見るとどうやら「首」が埋められているらしい。「朱印」→「愛知1」→「法蔵寺」にも近藤勇の首塚が・・・。??
続いて会津若松城へ。会津若松城に籠城し新政府軍の侵略を防いでいた会津藩を援護すべく土方に新撰組を一時任された斉藤一等が参戦。しかし、この戦いに参加した新撰組隊士はわずか11名。

若松城のお堀にいる鴨。つがいなのかそばを離れない。

「朱印」→「福島」→「伊佐須美神社」にも書いたが、岩代国一ノ宮の伊佐須美神社は朱印をお願いしたら頼んでもいないお酒と込みで1000円取られた。

若松城を攻めていた新政府軍が、この如来堂の守備にあたっていた新撰組にも猛襲。会津の役に参加した11名がこの戦いで死んだと思われたが、内7名は戦後も存命していたことが確認されている。その殉難地。

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