第8回爆釣旅行(呉「収蔵展示施設」編) 

戦艦大和を建造した東洋一と名高い軍港のあった町「呉」。平成17年4月に「大和ミュージアム」が出来るらしい。ちゃんと計画を立てていれば来年来たのに。ここでもノープランが悔やまれた。
「悔やまれても改善しないから同じミスをするんだよ」と心の天使が愚痴をもらす。
1999年に、戦艦大和の探索をした「大和プロジェクト'99」。当時は連日ニュースステーション等で報道された。同年秋には『よみがえる戦艦大和』放映。タイタニック探索に成功したサルベージ船「オーシャンボイジャー号」のクルーが今回は戦艦大和の探索を行った。おそらく、この前後に「大和ミュージアム」の案は出ていたのだろう。
今回見られなかったのはとても残念だけど、「大和ミュージアム」に展示する資料や模型の一部を「収蔵展示施設」で展示されていたので救われた。


レポーター:筆皇

こんな感じの軍用艦の模型が所狭しと置かれている。見せる様に展示されているわけではなかったので倉庫的に収められていて若干見にくい。

戦艦「陸奥」の40センチ主砲。戦艦好きの間では有名らしく、当時40センチ砲を装備した戦艦は「陸奥」と「長門」のみ。世界最強の軍艦として国民に広く知られ、少年達の心を鷲掴みにしていたらしい。

クモハとの比較。こんな巨大な砲が8門も搭載されていた。大正末期に建造され、何回も改造を施し昭和9年に2年間掛け本格的大改装を経て装備的に世界最強の艦となる。
昭和18年6月8日に弾薬庫が爆発し沈没。昭和45年から始まった戦艦「陸奥」の引き揚げ作業で、艦体の75パーセントが回収。その一部は山口県の陸奥記念館に展示されている。

こちらは、大和プロジェクトで引き上げられた機銃の薬莢。

「大和」参謀長公室の椅子。
陸奥の主砲の様にインパクトのある物は展示されていないが、やはり資料が一番多いのは「大和」。




各部の名称の書かれたパネルやら模型、沈没している大和のジオラマ等がぎっしり展示されている。
ちなみに、当時の国際条約で主砲の口径はどおやら「40センチまで」と決められていたらしく、その限界の主砲を装備していたのが「陸奥」「長門」だが、「大和」もそれを装備していると思わせるため主砲の名前は「90式40センチ砲塔」としているが実は46センチ。

人間魚雷「回天一型」の潜望鏡。有人魚雷って聞いただけで海軍に入る気は無くなってしまう。
来年オープンの「大和ミュージアム」では、10分の1の大和の模型・「大和」の新造時の原図・人間魚雷「回天10型」等盛り沢山の展示物が見られる。

筆皇メニュー
原爆ドーム編 厳島神社編