串山防空監視所のつもりが工廠神社
平成23年3月の呉・江田島戦跡散策一人旅のオーラスとなる場所。
時間がかなり押していたが、公園近くなので何とかなるだろうとたかをくくっていたが、散策場所が悪かったらしく、見つけられたのは入口がふさがれたトンネル数ヵ所と工廠神社のみ。目的の監視所やら機銃座を見つけることができなかった。

呉市街に戻ろうと、公園北西の道を通ったら神社の碑と何らかコンクリートらしき建物がチラっと見えた。無駄にウロウロせずに広範囲に探せばよかったと後悔。


串山公園の散策図。
ご覧の通り、南側から山頂の公園までしか散策できなかった。

駐車場近くの遺構。
有刺鉄線の張られたフェンスを乗り越えたとしてもご覧の通り、入口がコンクリートで閉じられているので外からの撮影のみ。

地下工場跡と思われる入口。ご覧の通り、コンクリートで封鎖されている。


駐車場近くの跡地記念碑。
せっかくこんな立派な碑を建立するのであれば、遺構の整備ももう少ししっかりやってもらいたかった。

道路すぐ脇にもトンネルの入り口が見え隠れする。
こちらは閉ざされてなかったが、フェンスすぐの所なので入れそうにない。

とりあえず階段があったので登ってみる。
高所恐怖症の39歳、上りは体力を、下りは精神力を浪費する。

階段脇のコンクリ壁面跡?


工廠神社跡。
本殿建物も鳥居もなく、本殿の基礎が残るのみ。それでも碑が残ってるくらいだと思っていたので、何かしらの遺構が残ってるのは嬉しい。
まぁ、その碑は結局帰りがけに車の中からチラ見しただけなのだが。

手水舎跡。
恐らく屋根くらいはあったと思われるが、現在はご覧の石だけしか残っていない。

本殿の基礎部分は結構広く、一見小さな城の天守に見えるくらいだった。
基礎部分をあちこち撮影していたら、灯篭の下半分が転げ落ちていた。

そしてその灯篭のてっぺん部分は本殿基礎の中央部分に置かれていた。

なんとなく獄門首かかけられてるような感じで少々気味が悪い。

山頂の公園入口部分。
当時の門柱らしきものが建っていた。

カメラ持ったまま、公園部分をウロウロしていたらライトアップ用の電灯をつけに来ていた業者のおじさんにジロジロ見られた。

山頂の公園。
子供の姿はなく、おじいさんが世間話をしているのみ。結局これ以降何も見つけられずにタイムアップしてしまったのだが、今思えば公園のおじさんに聞けばよかった。

まぁこの時思いついていたとしても、気が弱い自分が老人集団に声をかけることができたかどうかは微妙だが。

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