三菱重工名古屋航空宇宙システム製作所
小牧南工場資料室
その4

奥側に置かれている、ロケット推進式戦闘機「秋水」。
B29対抗の為、ドイツのメッサーシュミットを原型とし、最高速度900Kmとプロペラ機とは段違いの性能を誇った。ただ試作第一号は墜落大破、その後も研究は進められたが、実用されないまま終戦を迎えた。

「秋水」説明板より。
「秋水」は我が国で最初の有人ロケット戦闘機(世界ではドイツに次いで2番目)で、終戦間近の昭和19年8月に当社に設計・試作が発注され11ヶ月の短期間で完成、昭和20年7月7日の試験飛行に持ち込むなど我が国航空技術史の1ページを飾る貴重なものと評価されている戦闘機である。
試験飛行機ではエンジントラブルにより残念ながら墜落大破し実戦には間に合わなかったものの、世界でも数少ないロケット推進式の戦闘機で、当時としては驚異的な上昇力と抜群の速度を誇った知名度の高い戦闘機であった。
高度10,000mまで3分半で上昇、時速600〜800km/hで接敵攻撃し、攻撃後は滑空で帰還するもので、主として本土空爆のB29攻撃を目的としたものであった。
この戦闘機は昭和19年7月に日独連絡潜水艦がドイツから持ち帰ったメッサーシュミットMe-163Bロケット戦闘機の一部の資料を基に、資料、データがほとんど皆無の中で我が国の技術力を結集して開発された。機体は、三菱重工名古屋航空機製作所、エンジンは三菱重工名古屋発動機製作所大幸向上において神戸造船及び長崎兵器製作所等の協力を得て進められた。開発途中に東南海自信、三河大地震や米軍の爆撃に遭遇しながらそれに耐えて推進された。
「秋水」の復元は、残骸を使用すると共に、約1,600枚の企業な保管図面を使用して行い、当所の歴史を飾るにふさわしい技術遺産として保存するものである。本展示機のほかに現存する「秋水」は、終戦時に日本から運ばれた1機が米国に展示されている。

巨大な主輪は当然格納できず、離陸後に切り離される。着陸時は滑空帰還用橇を用いる。このことからも、実戦配備されても、メインで使用できる戦闘機でなかったのは容易に想像できる。

真正面から撮影。
やはり零戦などと比較すると不恰好と言わざるを得ない。

B29等、重大型爆撃機を対象としている為、30mmという大口径の機銃を装備している。ただし弾数は50発程度と心元ない。まぁ飛んでいられる時間や、目的の性格を考えると、こんなものなのかなとも思える。

後尾部。
特徴である、ロケット推進部が見られる。
エンジンの活動時間は5分を切り、それ以降は滑空状態で米軍の重爆撃機を攻撃するという、素人にはあまり現実的と思われない性格を持った戦闘機である。

 
説明板に掲載されていた、操縦席の写真。大泉洋チックな社員が、女性社員に語っていたところによると、零戦よりもだいぶ広いらしい。計器類も零戦より少ないようだ。

説明板に掲載されていた「メッサーシュミット」図面。これを参考にして「秋水」は設計された。「秋水」の側面写真と比べていかに「メッサーシュミット」を参考にしているかが分かる。
ただし、機首部分にはタケコプターチックなプロペラがついている。ウィキペディアを見ると、発電用のプロペラとのこと。

秋水の側面写真。胴体、尾翼等、メッサーシュミットそっくり。

2003年に復原されたエンジン。
機体に格納して展示してしまうとせっかくのエンジンが見られなくなるので、機体から外した状態で展示されている。


このエンジンについては、詳細な説明が掲載されていたが、文系一本道の自分には到底理解できるものではなかった。

エンジン。
思ったよりも小さくてゴチャゴチャしていない。説明によるとプロペラエンジンよりも単純な作りとのこと。
初めてここを訪れたのは、2003年のエンジン復原時。ロケットエンジンということで、ものすごいものを期待していたが、実物を見て拍子抜けした。

主翼付け根付近の部品と、帰還用の橇。どうやら余り部品のようだ。

デフォルメされた現代の戦闘機のような機首。機首内部には無線機器が搭載されていたらしい。

離陸後に切り離される主輪と、帰還用の橇。

水平尾翼を兼ねる、大型の主翼。
この位置から撮影すると、ナウシカに出てくるガンシップを彷彿とさせる。

異様なほど燃費が悪かったらしく、5分ほどのエンジン稼動時間にかかわらず、機体内部の大半を燃料タンクとして用いているらしい。

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