比島観音/殉国七士廟 その1
(2006/6/24)

愛知県蒲郡市の近く、幡豆町を通る有料道路「三ヶ根スカイライン」中腹に建立されている三ヶ根観音にはフィリピン方面での戦没者を祀る多くの碑が建てられている。毎年4月の第一日曜日には比島観音例祭が行われ、全国から部隊関係者などによって法要が行われいてる。
三ヶ根スカイラインは紫陽花ロードとも呼ばれ、6月には道路の両脇を紫陽花が飾ってで、とても美しい景色を見せてくれる。
また比島観音から車で数分の所には東京極東軍事裁判で絞首刑となった七名の骨が葬られている「殉国七士廟」がある。この七名は連合国側にとっても悪の権化のような扱いを受けていたため、火葬された骨を収集するのにもかなりの難儀があったようだ。残念ながら七名の骨は完全に混ざってしまっている状態で治められている。

三ヶ根スカイライン、三ヶ根山の麓に建立されている三ヶ根観音。開創年は724年と奈良時代にまで遡る。
6月には紫陽花が咲き誇る寺としても有名で、たくさんの参拝客が訪れる。

普通に植えてある紫陽花の他、品評会みたいなのも行われていた。
どうでもいいが青い紫陽花を見ると、「軽井沢誘拐案内」を思い出す。同感していただける人は結構な御年のはず。

海の見える高台に建てられている「女の墓碑」の観音像。共同墓ということで説明板もあったのだが、意味不明。
どうも何かしらのふくみがあるようなのだが、読み取れない。

女の墓碑付近から海を見下ろして撮影。
中央付近には老夫婦をかたどった碑らしきものが建てられていた。

何の生首かと思ったら、カーペンターズのカレンの碑。裏の建立者を見ると個人っぽいので、カレンファンの人が建てたものだと思われる。
しかし生首っぽい。

境内には戦没者を祀る多くの碑が建てられている。ほとんどが各部隊で生き残った兵士が生死を共にし、散っていった戦友を祀ったもの。
三ヶ根観音で清掃をしていたおばさんは、若い人達の中には碑をお墓と間違えて怖がる人が結構多いと話していた。
更に毎年4月の比島観音例祭には人の助けがないと歩けないおじいさんまでもが参加しているが、その方達が亡くなったらこの碑をちゃんと祀ってくれる人はいなくなるだろうねぇと心配していた。

殉国百四十五烈士の碑。
南太平洋戦域でオーストラリア、オランダ管轄の軍事裁判で処刑された百四十五人を顕彰する碑。


軍事裁判というと、東京裁判で裁かれた人達ばかりがクローズアップされるが、このように多くの兵士達が異国の地で散っていったことも知るべきだろう。

殉国百四十五烈士の碑横の石板。
収容所の地図や鳥瞰図が刻まれている。

三ヶ根観音境内の案内図。
一部薬害関係や交通事故関係の碑なども建てられているが、ほとんどがフィリピン方面で壊滅した部隊の碑。


先出の掃除のおばさん曰く、ここから海を臨む景色がフィリピンと似ているということで碑が建てられ、その後増えていったとのこと。
調べたわけではないので確証を得た話ではないが、確かに上の石板に刻まれた景色と雰囲気は似ている。

フィリピン戦線の戦没者を祀る比島観音。そのまわりには多くの碑が取り囲むように建てられている。

昭和52年遠州灘で底引網に引っかかって引き上げられた零戦のエンジン・プロペラ部分。着水時の衝撃か、プロペラが大きく後ろにひん曲がっている。

機械にうといので、零戦の何型に搭載されていたエンジンか分からない。

零戦エンジンの横、木柱に載せられた錆びた鉄カブト。柱には何か文字が記されているが読めない。
何の説明もなく、ぽつんとあるだけだが、その存在感は妙に大きい。

多くの慰霊碑と慰霊提灯(?)。

碑の裏にはその部隊に関しての説明が刻まれている。

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