松代大本営跡(象山地下壕) その1
(2006/8/25 長野市)

敗戦の色が濃くなってきた昭和19年11月、本土決戦に備えて皇居や大本営を疎開させるために掘られた地下壕。地震が少なく岩盤が強固なこと、海から遠いこと(上陸してくる敵兵に備えて)、飛行場が近いことなどの条件から選ばれたのがこの松代。舞鶴山、象山、皆神山はじめ数箇所が掘られた。皆神山には御座所・大本営等が、象山には政府機関やNHKなどが入る予定であり。その合計全長は約10キロにも及ぶ。ただし皆神山は地盤が弱かったため、途中で移転予定先が舞鶴山に変更となり、皆神山は倉庫として用いられることになった。
ちゃんとした見学ルートが整備されているのはこの象山地下壕跡で、全長6キロ弱のうち約500mが公開されている。中は場所にもよるが幅・高さ共に約3mは確保されている。見学ルートではないが、現在信州大学の宇宙線観測施設として利用されている部分もある。
天皇の御座所が置かれる予定だった舞鶴山地下壕は気象庁精密地震観測所となっている。一部見学可能だが、今回は時間がないのでパス。皆神山地下壕は崩壊が進んでおり非公開。


だいたいの事は説明板にて説明がされているのでそちらにて。

象山地下壕入口付近、ちょっとした休憩所と説明板、いくつかの碑が見られる。有名な割にはこじんまりとした入口。
すぐ近くの家は私営の資料館を開設しているが、誰も入っていく様子がみられなかった。

炭鉱チックな入口。右側に見えているのは
「朝鮮人犠牲者追悼平和記念碑」。

入口右側に建てられている朝鮮人犠牲者追悼平和記念碑。碑銘が右側に漢字、左側にハングルで記載されている。

朝鮮人犠牲者追悼平和記念碑の説明文。犠牲になった人の数も詳細も実際かなり不明な様子。

客車を再利用したと思われるトイレ。付近には説明文とパネルが展示されている。


トイレ付近の象山地下壕の説明文。6キロ近い地下壕で公開されているのはその1割弱の500m。

象山地下壕案内図。青い部分が公開されている通路。分かりにくいが丸数字に展示がある。

入口。
前に立つだけで、穴の方から涼しい風が吹いてくる。ヘルメット着用であるが、見学者の半分くらいはヘルメットをしていなかった。ヘルメットは無料で貸し出しを行ってくれている。

入口入った直後。裸電球の灯りが奥へ続いていく。ここまで歩いてきた汗があっというまに引いていく。肌に残るのは残留した三十路脂、俗にいう加齢臭の素である。

赤い鳥居みたいなものは壕の補強。上を走っているのは電源用のケーブル。

基本的に壕はそのままの状態で保存されている。岩肌は整形されていない。

入口から50mほど進むと右に曲がる。ただし通路自体は真っ直ぐ進んでいるが。

掘削した跡がそのまま残る壁面。

碁盤目状に通路が作られている地下壕内には非公開部分の通路がいくつも交差している。

地下壕内。最初の曲がり角を曲がると全く暑さは感じない。奥から帰ってくる人は口々に「寒い、寒い」を連呼する。
女性は一枚はおっていった方がいいかもしれない。

削岩機ロッド跡の説明文。

説明文にある「抜けなくなったロッド」。

非公開部分の通路は柵で通行できないようになっている。いくつかの非公開非公開部分はライトアップされているが、ほとんどは漆黒の闇の中へ通路が続いている。

愛知の戦争遺跡特集トップ次頁
//
観光トップ