豊川海軍工廠跡 その1
(愛知県 2005/2)

愛知の戦争遺跡を見て回る上で絶対に外せないと思っていた豊川海軍工廠跡。現在は名古屋大学太陽地球環境研究所の敷地となっている。
昨年の春先に見学依頼をしたのだが、マムシやスズメバチが多く出るので、原則的には冬しか見学を許可していないとのことで涙を飲んだ。
そして満を持しての冬、勢い込んで見学依頼したのだが、案内のボランティアを出すので、できれば人数を揃えて欲しいとのこと。
掲示板などで募集をかけたのだが、予想通り誰も集まらなかったため、「豊川海軍工廠跡地保存をすすめる会」の見学会に参加しての見学となった。


〜豊川海軍工廠〜
豊川海軍工廠は昭和14年、機銃や弾薬を製造する為の工廠としてつくられた。最盛期には6万を越える人々がこの仕事に従事していたとされる。
昭和20年8月7日、マリアナ基地から飛来した爆撃機B29約120機、12波による空襲を受ける。天候が悪かった場合は横須賀が攻撃対象であったが、この日は晴天であった。およそ30分の間に500ポンド爆弾3200発余りを落とされ、約2700人の人達が亡くなった。


空襲の被害が割と少なかった北西部分は現在名古屋大学太陽地球環境研究所の敷地となっているが、構内は点在した施設以外はあまり手を入れられることがなかったため、現在も建造物やそれらを囲んでいた土塁、爆弾跡など、数多くの遺構が残っている。
ジオラマで復元された豊川海軍工廠。

左上の部分、およそ1/4が現在名古屋大学太陽地球環境研究所の敷地となっている。比較的被害の少なかった場所で、見学ルートもこのあたり。火工部は火薬が多く蓄えられており、空襲の場合、危険とされたので多くの従業員は南側の正門方面へ逃げた。しかし皮肉にも爆撃の中心はこの正門近くであったため、より被害が大きくなったとのこと。
海軍工廠で用いられた時刻ベル、マイクロホンなど。
正門近くにあった工廠神社の菊花紋章。

名古屋大学太陽地球科学研究所本館前に集合。毎年夏冬2回の見学会が行われている。夏は空襲のあった8月7日であるが、雑草が生い茂っているため、冬ほどの見学範囲はないらしい。

名古屋大学太陽地球科学研究所門。
写真左の土手部分はすでに軍の遺構となっており、弾薬庫の周囲を囲む土塁。

警備員詰所。
戦時中のものかと思えるくらい年季が入っていた。中の警備員はフレンドリーな挨拶で好感。


門を入ってすぐ右側、鋭い角を持った土塁が現れる。
内部は弾薬庫となっており、写真中央に見えるトンネルからのみ行き来できる。

豊川海軍工廠復元ジオラマより。
建造物を囲う土塁とそれらを結ぶ通路の様子。


上の写真に写っている土塁もこれらの一つ。

弾薬庫へと続くトンネル。
心霊スポット好きの連中だったら大騒ぎするような場所。

土塁内側から撮影したトンネル。塁の際は日光があたりにくいので、表側と雰囲気がかなり異なる。生えてる植物もシダっぽい。

トンネルをくぐると見えてくる弾薬庫(実験棟?)
この塁の中には他にも建物があったようだが、現在はこれしか残っていない。
ツタがからみまくって廃墟チックな雰囲気は充分あるが、ぱっと見たところ戦争遺跡というイメージあまりなかった。

火薬を扱う建物であるため、壁は厚く、屋根は薄い。もし誤爆した場合に被害が広がらないよう、爆発を上に抜かすため。
壁は厚さ30cmの鉄筋コンクリート製、窓際のあたりにその厚さを見ることができる。

 
廊下と入ってすぐ左の部屋。物置に使っていたようだが、現在は使用されていないらしい。
正式な説明開始後は危険なので中に入らないよう指示があった。ほとんど粗大ゴミ置場状態。

 
通路右側から乗り出して撮影。元便所らしき突き出した部屋がある。
右の写真は元便所らしき部屋内部。荒れ放題となっているが、壁や洗面所に元トイレらしき雰囲気が見て取れる。

廊下突き当たり右側の部屋。サッシなどは手を加えられたもののようだ。
肝心の部屋は屋根が落ちてしまっており、踏み込むことは不可能。

廊下突き当たり。左側の戸が上記写真の扉。荒れ果ててはいるが、約60年を経た建物とも思われない。

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