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南吉生家付近
幼い南吉が草つきをして遊んだ常夜灯、日常寝起きしていた離れ、当時の街道を示す道標、死期迫る中で作品を書いていた継母が営む下駄屋。南吉がその短い生涯の半分以上を過ごした場所。
家族の中で一人、養子先の姓「新美」のまま過ごした南吉であったが、やはり狭いながらも家族と暮らす家にやすらぎを感じていたのだろうか。
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生家の前にある常夜灯。「花を埋める」等の作品にも出てくる。よく見ると子供らが草つきをして遊んだ跡が残っている(写真右の凹み)。結構狭い路地な上、道が入り組んでいるので車で近くまで来るには注意が必要。 |
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こちらも生家のすぐ近くにある道標。往時は生家前は街道であったためこのような道標が建てられていた。
「右 半田 もろさき
左 かめさき 三州」
と書かれてある。 |
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生家横に建てられている「新美南吉生い立ちの地」碑。昭和41年に建てられた。 |
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南吉生家。旧街道側から見ると普通の平屋建であるが、実際は地形の関係で二階建となっている。見えている部分が二階にあたり、入って階段を降りると一階となっている。
戦後人手に渡っていたが、半田市が購入、復元を行って現在の公開に至っている。 |
説明版にある生家見取図。図の二階下部分が上の写真を撮った側、つまり街道側となっている。
養家に比較すべくもないほど狭い家であり、継母との関係も決し良好とは言えない状態ではあったが、家族で暮らせるこの家の方が南吉には居心地の良いものであっただろう。 |
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ちょっと写真が傾いてしまったが、生家裏口方面を撮影。こちらは二階建てになっているのが分かる。 |
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継母が営んでいた下駄屋。街道筋からは向かって左側となる。
最晩年「小さい太郎の悲しみ」、「狐」はこの店の火鉢の脇で喉の痛みに耐えながら書かれた。 |
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下駄屋奥の居間から街道方面に向かって撮影。 |
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下駄屋入口付近。南吉の写真の展示がされている。ほとんど見えないが、左から二番目の写真は半田二小代用教員時代、最初の恋人に送った写真でサイン?がされてある。 |
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入って正面の一階に降りる階段。夜ともなれば薄暗かった当時、きっと何度か足を滑らせたのではないだろうか。 |
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一階部分中央の勝手場。奥は小間、背後は物置となっている。 |
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一階小間内部。天井が異様に低い。身長165cm(自称)の自分でも頭が天井につかえる。ここで家族四人食事を摂っていたとなると相当狭いだろうな。こんなちゃぶ台欲しい。 |
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父多蔵が営む畳屋。街道側から向かって右側。悪い言い方をするとケチな父親であったが、新しい機材をいち早く導入したり、村の神社に多額の寄付をしたりして使う所ではしっかりお金を使うタイプであった。
ただ神社への多額の寄付については南吉はあまりいい感じを持っていなかったようだ。 |
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畳屋奥に置かれていた自転車。恐らく今でも充分使えるのではないかと思われる。店の奥に置かれているのも何か変な感じがするが、店先に置くと不埒者に持っていかれそうなのでしょうがない。 |
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畳屋から下駄屋は中央部分で繋がっている。写真は畳屋から見た下駄屋。さりげなく置かれた小物のセンスはなかなか良いと思った。 |
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